2016年07月25日

野球の思い出 〜中学生編@〜

すっごい長いんで、気長に読んでください。

さて、中学に進学。まぁ地元の中学だったわけですが、そこがまぁ校風が物凄く厳しい学校で、「生徒は必ず部活動をしなければならない」というような学校でした。

なんというか、小学生気分が抜けない私はその校風についていけない・・・というか、付いて行きたくない感じだったので、適当に卓球部に席を置きました。
ただ放課後はそのまま帰ってました。今思えば不真面目だなぁって思うんですが、「部活やりたくないなぁ」っていうのが本心でした。
いきなり幽霊部員になった私に、卓球部の先生からお怒りのお言葉をもらいます。でもなんにも気にした感じもなし。正直、ここではまだ小学7年生だったんだと思います。

そんな折、三者面談の席で担任が「野球部に入りなさい」と言ってきます。実は担任が野球部の顧問だったんですね。
私、自慢じゃないけどそこそこ脚が速かったんです。当時100m12秒台前半とかでした。
それを見てた先生が「うちの野球部に欲しい」と言ってきたんですね。
親も「そうします」って納得。私も「まぁ、野球ならやってもいいかな」っていう感じでOK。
翌日卓球部に退部届を出し、野球部に入部します。
(実は陸上部からも誘いがあったのですが、「走るだけじゃなぁ・・・」という気持ちで断りました)

同級生から約1ヶ月遅れての野球部入部でございます。

いざ本格的に部活を始めるとキツイのなんの・・・
朝練は7時から、放課後は6時まで練習というキツさ。
ちなみにまだ土曜日が半日だった時代だったので、土曜日は午後めいいっぱい練習・・・
はじめのうちは練習で疲れすぎて家に帰ったらそのまま寝てました。宿題なんかできるわけがないという感じ。

さて、どこもそうだと思いますが、1年生は初めのころは試合どころか練習もさせてもらえません。
とにかく先輩方の練習の補佐と準備。試合の時はスタンドから応援。これをひたすらにやります。
準備が遅れると怒られますし、罰として走らされます。
ただ、普段はとても優しい先輩方だったので、(色んな意味で)可愛がってもらいました。

私が1年時の先輩方は物凄く強く、地区大会(厚木愛甲地区)優勝、県央大会優勝、県大会ベスト4という凄まじい成績をおさめました。
ちなみに県大会出場は学校の野球部初だそうで、しかしながらその凄さをいまいち分かってなかった私は、3年生の引退時にその凄さを知るのでした。

当時神奈川の中学校が約380校。このうち、県大会に進めるのはたったの26校。
そして更にそのベスト4に入ってしまうという(しかも準決勝で当たった学校が優勝チーム)・・・
とんでもない学校に来てしまったとその時に思うのでした。

3年生が引退すると、我々1年生も練習に参加させてもらえるようになります。
しかし季節は夏・・・ その中で、徹底的な走り込みとノック。
夏の練習はとにかく走らされた思い出しかありません。
バントの練習でバントをミスったら校庭10周とか、ノックでエラーしたら校庭10周とか・・・ 1日50周位走ったこともありました。

ただ、同級生からも次第に練習試合に名を連ねる人間も出てきました。
これが物凄くモチベーションに繋がりました。
私は前述のとおり脚があったので、数試合ですが代走での出場ということが出てきました。
出場したらとにかく1つ先の塁を目指して走る・・・という感じで1年時を過ごします。
ちなみに守備機会での出場はありませんでした・・・

ちなみにうちの学校は伝統的に「ユニフォームは先輩から受け継ぐ」というものだったので、3年生は2年生に、2年生は1年生にユニフォームを渡します。
私も仲の良い先輩からユニフォームを譲り受けました。
それまで練習用の白いユニフォームだったので、やっと学校の野球部の一員になれた気がしました。

2年になると新しく後輩ができます。
まずは後輩の指導。なぜか指導係に私を含めた3名が選ばれます。
準備の仕方だったり、応援の仕方だったり、とにかく自分たちが1年の時にやってきたことをやってもらわねばなりません。
私からは「とにかく声を出せ」ということを強く言ったことを覚えています。

春の地区大会。私は戦番号23番をもらい、ベンチに入ることができました。
春の地区大会は背番号25番までベンチに入ることができます。
しかしながら、実は3年の先輩は20人ほどいたのですが、こう言ってはなんですが実力が劣る人は先輩でも容赦なく背番号を外され、応援に回されました。

ちなみに2回戦で敗れてしまい、また私の出場機会はありませんでした。

夏の大会まで、とにかく毎日物凄い練習が続きます。
しかしこの頃には体力もつき、練習についていけるようになりました。
ちなみに私はこの時ショートの3番手+外野控えといったポジションでした。
終盤、「ここぞ」という時に代走で回ってくるというのが主な出場機会でした。
巨人の鈴木尚広選手のような感じといえばカッコイイのですが、鈴木選手のような代走としての安心感や猛烈な盗塁成功率は誇れなかったように思います。

そして夏の地区大会。相変わらず背番号は23でした。
この夏の大会は背番号20番までしかベンチ入りすることができず、私は応援に回ることになりました。
結果は優勝。地区大会2連覇でした。
「先輩強いなぁ・・・」と応援しながら思ったものです。
しかし、続く県央大会、2回戦で惜敗してしまいます。ちなみに対戦したチームはそのまま県央大会を制しました。
呆気なかったというか、「先輩がここで負けるはずがない」と思っていただけに、物凄くショックでした。

翌日、ミーティングで代替わりのユニフォームの受け渡しが行われました。
3年生はもう出られる大会がなくなり、受験に備えるということで引退になります。
私は仲の良い先輩からユニフォームを託されました。同時に、私も後輩へユニフォームを渡しました。
ただ、まだ最上級生になる実感が湧かず、かなり戸惑っていました。

私はショートの2番手になったのですが、1年生も練習に参加するようになり、本格的に外野へのコンバートを考え、先生に直訴しに行きました。
先生は「まだそんな時期ではない」ということだったのですが、一応外野の練習には参加させてもらえることになりました。
一応外野はライトが空いていたので、そこに入る形で練習していたのですが、夏の紅白戦で「サード」につくことになりました。
サード・・・今まで経験したこともありませんし、内野はショートばかりだったので全く勝手がわかりません。
飛んできたボールを捌けばいいだけかと思いきや、バントの時にはダッシュを掛けなければなりませんし、三盗阻止のために塁に入らなければなりません。
そしてここから、なぜか私はサードに固定になってしまったのです。
先輩がどんな動きをしていたかなんてサッパリ見ていません。とにかくやって慣れるしかありません。
ちなみに打順はこの時から8番でした。実は中学に入ってから打撃不振で、自分も「打つよりは守備で」という感じでした。

そんなこんなで3年生になります。
自分たちはまだ地区でどの学校も成し遂げていない「地区大会3連覇」という夢に挑むこととなりました。
ちなみにサードの守備は段々と慣れてはいったのですが、ファーストまで遠投しないといけないポジションだけに、肩の弱い私にはキツかったです。
力んで投げれば暴投、あるいはとんでもないところに行ったりとか・・・
1回表で早々ベンチに下げられたこともあったくらいです。
「イカン、これでは試合で使えない人間になってしまう」ということで、ノックをひたすら受け、走りこみを続けました。

そうこうしてるうちに春の大会がやってきます。
私は(前代未聞の)背番号5を付けることになりました。
5・・・プレッシャーが大きかったです・・・。

ちなみに、この春の大会では、私は1番サードで出場します。
脚を買われての1番だったのですが、出塁率はそんなに良くはなかったです・・・
結果は2回戦敗退。正直「地区大会3連覇なんて無理だろ」って思ってしまいました。

しかしながら、夏まではまだ時間があります。
とにかく物凄い練習量でその後を過ごし、夏の大会を迎えます。

この頃には私は「8番 サード」という位置に落ち着きました。
また学生野球では珍しいかもしれませんが、とにかく出塁主義というか、フォアボールを選ぶことを第一に考えるようになりました。
「塁に出ればかき回せる」そう思ったので、追い込まれるまではとにかく揺さぶる打撃に徹しました。
先生もそんな意図をわかってくれたようで、無理なサインは出ないようになりました(ただ脚はあったのでセーフティーバントのサインは結構多く出ました)。

続きます
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2016年07月24日

野球の思い出 〜小学生編〜

高校野球を観戦したついでに、私の野球人生をここに書いてみたいと思います。

野球を始めたのは小学校3年の時(確か秋ごろ)。友人のお父上が地区チームのコーチをやっていて、友人とそのお父さんに誘われる形で野球を始めました。

最初はルールなんてわかりません。ボールはどうやって投げたらいいのか?ボールを取ったけれどどこに投げたらいいのか?バットはどうやって握るのか?等など、それまで野球をあまり見てこなかった人間だったので、何から何まで初めてづくしで戸惑った覚えがあります。
ちなみにこの時は背番号15でした。20人弱のチームだったので、大分後ろの方でございます。

4年生になって初めて試合に出ます。初めての試合は6番センターとかだったかな。
背番号は11番を付けさせてもらいました。(ちなみに今はどうかわからないんですが、当時は主将が10番を付けるという決まり(?)がありました)。
この時は物凄く緊張していて、「ボール飛んで来るな」ってず〜っと思ってました(結果飛んできませんでした)。
打撃の方はサッパリダメ。なんというか、ボールが見えてなかったんですね。
なのでコーチから「振るな、立ってろ」と言われましたw
レギュラーということでもなかったので、ベンチで応援をしている方が多かったです。

ちなみにチームは物凄く弱く、リーグ戦全敗、練習試合全敗という完全敗北を喫します。
確か33-0という試合がありました。

5年生に上がると、守備が外野からキャッチャーに転向になりました。
とはいえ、私は肩がいいわけでもなく、リードも決して上手いとはいえないタイプでした。
盗塁されれば投げてもほぼセーフ。小学校時代、キャッチャーで捕殺できたのは確か2回しかなかったと思います。

背番号は正捕手の2。ここで初めて一桁の番号をもらいます。
打順は3番か5番でした。4年次の途中から段々とボールが見えるようになり、初めて打ったヒットは(振り遅れの)右中間3ベース。打った自分が一番驚きました。

この年はリーグ戦では全敗でしたが、練習試合では1勝することができました。初めての勝利です。

6年に上がると、なぜか副キャプテンに指名されます。
守備はそのままキャッチャーでしたが、打順はリーグ戦一戦目で3塁打を2つ打つなどしたため、次の試合から4番に。
なので、6年時は4番 キャッチャー Tomoki
でございました。

打撃は物凄く好調。打てば飛ぶし、バッティングが凄く好きになっていました。
ただ守備はイマイチ・・・ ハーフバウンドが全然取れなくて、その度に進塁、酷い時はホームインを許していました。
キャッチャーの基本である「体で止める」っていうのが怖かったんですよね。防具つけてても、柔らかい軟球でも、怖いんだよ・・・。

それでもリーグ戦2勝を挙げます。練習試合でも2勝することができました。

そして、チームMVPに選ばれます。結構いい気になってたなぁと思います。

小学校を卒業して、中学編に続きます。
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高校野球を見に行ってきました

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今日は朝から特にやることもなく、のんびり〜と過ごしていたわけですが、母が突然「高校野球でも見に行こうか」とのことで。
何でも、自宅から一番近い相模原球場で、「桐光学園 対 横浜創学館」の試合があるから、とのこと。

これは熱いカードじゃないですか。
ということで、すぐに支度をして、母を乗せて相模原球場まで車を走らせました。

試合開始30分以上前についたのですが、もう凄い車の数。正面駐車場は既に満車で、第二駐車場に回って車を停め球場へ。

本日の対戦カード
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いやはや、あの桐光学園と横浜創学館の試合を生で観られるとは・・・母に勧められたとはいえ凄く嬉しくなってしまいました。

ちなみに私は元高校球児ですが、引退してから球場に足を運ぶことは初(プロを除く)。
なので高校野球の観戦を生で見るのは初めてでした(テレビでは時間があればずっと観てます)。

ちなみに私たちはバックスタンドのやや三塁側の場所に席を取ったのですが、応援のゾーンとしては横浜創学館側でした(というか周りの方々がみんなそんな感じでした)。私はどっちも応援したいというか、「どちらか側につく」ということはない感じの観戦をしようと思っていたのですが、周りに合わせて横浜創学館を応援する形になりました。
でも心の中では中立です。桐光学園も友人の母校ということもあり、「どっちも頑張れ!」という気持ちでおりました。

スタンドはもうほぼ満席。まぁこのカードですからね、高校野球ファンは放って置かないでしょうという感じ。

シートノックが始まり、その後両校応援団のエールの交換・・・
熱いものがこみ上げてきましたがグッとこらえました。
なんだか懐かしいというか、「あぁ、自分もフィールドでプレイしていたんだな」って思ってちょっと感極まってしまいました(尚まだ試合は始まってません)。

試合内容は詳しくは書きませんが(というかすっごく長くなるので)、とにかく素晴らしい試合でした。
点の取り合いではあったのですが、どちらのチームも崩れてということではなく、片方が打てば片方は打ち返して、片方が点を入れれば片方はさらに点を入れて・・・という、とても見応えのある試合でした。
結果的に桐光学園が9-6というスコアで勝利したわけですが、横浜創学館も打撃・守備共に素晴らしかったです。

しかし強豪校同士、プレーだけでなくスタンドの応援も凄かったです。
普段テレビでしか見ていないので応援をずっと見るということはできないのですが、両校のカラーが物凄く出ていて、ブラバンと掛け声を聞いてるだけでも楽しかったです。やっぱりこれが高校野球の魅力ですよね。
それを生で体験できたのも凄く感動でございました。


二試合目は湘南高校 対 県商工。
ちなみに席を動いていなかったので、必然的に三塁側の県商工側の応援を(でもどっちも頑張れ精神)。

県商工は、私がまだ高校で野球をしていた頃、春のセンバツで優勝した東海大相模を準々決勝で破ってベスト4に入ったこともあるチーム(あの時の県商工の勢いはすごかった)。
方や湘南高校はスポーツに盛んで、実は(遠い昔だけど)甲子園優勝を果たしたチーム。
共に昔の話にはなってしまいますが、公立強豪校同士のカードでした。

試合は湘南が強さを見せた試合でした。テンポよく得点を重ね、また計4人の完封リレーも素晴らしかった。
ただ県商工も守備が乱れるということはなく、全体的に締まったとても良いゲームでした。
結果は湘南高校が6-0で勝利。ベスト16に進出です。おめでとう。


二試合を見させていただきましたが、元気と感動をたくさんもらいました。
まだ大会期間中ですが、来年はもっと試合に足を運びたいなって今から思っています。

ちなみに凄くいい天気の中、突然の観戦を5時間行いまして、結果両腕が物凄い日焼けでございます。
もう赤を通り越して黒に近いんじゃないかっていうくらいの・・・
今これをタイプしながらも両腕がヒリヒリして痛いのか痒いのかわからん状況でございます。
次は日焼け止めを持って行こうと思った本日でございました。
posted by Tomoki at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記